Aia ma Mākua, hahai ‘ia ‘o Lā‘au Castro, he kanaka ‘ike loa i ka lā‘au, e ona mau hoa makamaka, i ka huli ‘ana i nā ‘ono o ka ‘āina.
「おおおおーーい!」こちらに向かってくるトラックから呼びかける声がする。マークア洞穴の向かいの草地に派手なハンドルさばきでトラックを停めたのはナハレラーアウ・カストロさん。窓枠に腕をかけたまま、挨拶がわりにパーパレ(帽子)を傾けた。満面の笑みで、手にはビール。まだ朝の9時半なのに。ラーアウさんはいつだってドラマチックに登場するのだ。
トラックの荷台からかごや箱を下ろすラーアウさんに、わたしは手早く友人たちを紹介した。ローレンにジョン、テイラー、そして恋人のジュン。ウエストサイドでの釣り三昧の一日を過ごそうとやってきた面々だ。「あとからメルとエイベルも来る」箱を次々に手渡しながらラーアウさんが言う。トラックの大きなクレートを開けるとラーアウさんのペットの山羊ラッキーが飛び出すなり、胡散臭そうにこちらを睨んだ。主人であるラーアウさんを愛するラッキーは、明らかにわたしたちのことを毛嫌いしている。「ラッキーは女性が嫌いなんだ」ラーアウさんはきまりが悪そうにローレンとわたしを見た。ラッキーの態度を詫びてはいるが、同時に警告もしているようだ。わたしたちはしかと承知した。ラッキーの鋭い角を見たら、逆う気などとても起きない。
先頭に立って海岸へと向かうラーアウさんとラッキーのコンビはなんだかコミカルでおもしろい。上半身裸で筋骨たくましいラーアウさんがなんなくキアヴェの下生えを踏み越えていく横で、ラッキーはいちいち脚をとられている。土埃のたつ細道を荷物を担いで歩きながら、ラーアウさんは最新の武勇伝でわたしたちを笑わせながら、態度の大きいラッキーを叱る。ほどなくして行く手に誰もいないビーチが開けた。背後にはワイアナエ山脈が切り立った大聖堂のようにそびえたち、 目の前にはきらきらと輝く果てしない空と海。自然への驚異に胸を打たれ、わたしたちはしばし言葉を失い、感動を分かち合った。
ラーアウさんの場合、自分にとって最高のライフスタイルを築くことはつまり余分なものを削ぎ落とすことだった。高級レストランのシェフ、甲板員、プロのダイバー、引船のタグボートの操縦士など40歳を迎えるまでにさまざま職業に就き、人並み以上に活躍してきたラーアウさん。会社員として勤めた時期、懐は暖かかったが自分らしいと思えなかったそうだ。アウトドアに身を置き、森や海、空を身近に感じるのが好きなラーアウさん。自然との深いつながりは、先住ハワイアンである彼の家系のライトモティーフ(くり返し現れる主題)でもある。祖母であるコナルヒオレ・マハウル・ガブリエルさんはハワイの伝統的な薬をつくる人で、その母親にあたる人も自然の植物や霊能力を使って病気や怪我の治療をする”カフーナ・ラーアウ・ラパアウ”として人々の尊敬を集めた。ラーアウさんは、摘んだり集めたり、釣りや狩りによって得た食糧で人をもてなすことで、受け継いだ伝統を自分らしく生かせることに気づいたのだそうだ。
日陰になった岩穴でくつろいでいるうちにメルとエイベルもやってきて、わたしたちは魚の網をどう投げるか検討した。メルとラーアウさんはその朝早くにナーナークリで網をかけたのだが、何も釣れなかった。それどころか網がまるで紡ぎにかけたようにこんがらがってしまった。進取の気性に富んだアザラシがちゃっかり手軽な食事にありついた証拠だ。だが、ラーアウさんはマーカウは行けそうな気がすると言う。小さい頃、ここマークアでおじさんから網の投げ方を教わったそうだ。その日は幸運に恵まれそうな気配に満ちていた。
海を見るわたしたちの背中は、正午の太陽に焦げつきそうだ。ほんの50メートルほど先にある安全地帯、海を目指し、鋭く尖ったでこぼこのサンゴと黒いトゲが油断のならないヴァナ(ウニ)が点在する地雷原のような珊瑚礁を慎重に進む。ラーアウさんが立ち止まり、とげが平たい紫色のウニ”ハーウケウケ”を手際よく岩からはがしている。ハーウケウケは踏んでもそれほど痛くないし、ずっとおいしいんだとラーアウさん。ウニを割ってオレンジ色のクリーミーな中身を旅のおやとして食べさせてくれた。
海にたどり着くと、男性陣は水に飛び込んでカレントに動きを合わせて網を投げた。岸に残ったわたしとローレンは滑稽な光景を楽しんだ。ご主人様と一緒に海に入れなくて取り乱し、珊瑚を行きつ戻りつしながら哀れっぽくめえめえ鳴くラッキーと、安心させようとめえめえ鳴き返すラーアウさんだ。
鳴き声がやみ、男性陣が水面をばしゃばしゃ叩いて大声をあげ、怯えた魚を網へと追い込みはじめた。パエパエ式の漁法。そして突然、大声は歓声に変わった。輝かしい勝利の歓声だ!
浜辺に上げた絡んだ網のなかで魚はきらきら輝き、飛び跳ねている。わたしたちは釣果を調べた。マニニ(シマハギ)。プアル(クロハギ)。カラ(テングハギ)。わたしは角のあるカラをじっくり検分した。子供の頃からずっと、カラなど食べるに値しない魚だと思っていた。皮は硬いし、身は魚臭く、味は海藻のようでちっともおいしくない。だが、ラーアウさんはその考えを一蹴した。「食べるに値しない魚なんていない。その魚に合った調理法で料理すればいいんだよ」ラーアウさんが何かに気づいた。「おいおい! オアフが入ってるぞ!」そんな魚の名前は聞いたこともなかったが、わたしたちはきゃっきゃっとはしゃぎながら貴重な魚を見ようと網を覗き込んだ。「ほら、これがオ、ア、フだよ」ラーアウさんはゆ っくり発音し、網に絡まったこぶし大のサンゴのかけらを指した。わたしたちは目をぐるりと上に向け、簡単に引っかかった自分たちの単純さを笑った。
岩穴に戻り、ラーアウさんは情熱と使命感に燃えて食事の準備に取りかかった。パパコーレアで仕留めた野生の猪肉にリリコイソースを塗って焼き上げたもの。皮を黒焦げにしてガーリックソルトで味つけしたカラ。鋳鉄のフライパンで焼いた大きなウル(ブレッドフルーツ)のスライス。搾りたてのライムで味をきゅっと引き締めたポワソンコリュ(魚の刺身と野菜のマリネ)。宮廷料理と見まがうようなごちそうだった。
帰途に着かなければいけない時間はすぐにやってきた。誰もが終わってほしくないと思う夏の一日。だが、車に戻ったわたしは一日がまだ終わってはいなかったことを知る。強面で近寄りがたい雰囲気のグループが、わたしたちの車のすぐそばに車を停めてたむろしている。だが、ラーアウさんは持ち前の気さくさであっという間に彼らと打ち解けてしまった。彼らにウルをあげ、魚も持っていけと言っている。彼の陽気さにつられ、わたしたちもいつの間にかその輪に加わっていた。誰かがウクレレを奏ではじめ、こぢんまりとしたパーティはいつしか盛大な”カニカピラ(” ジャムセッション)になっていた。わたしたちは黄昏の太陽に照らされて、新しい友達と笑い、食べ、歌った。
冷たいビールを手に満面の笑みのラーアウさんを見ながら、彼がお祖母さんのことをこう言っていたのを思い出した。”トゥトゥ(おばあちゃん)は誰でも歓迎した。時間を惜しまず一緒に過ごし、料理をつくり、ごちそうする。ぼくもそういうのが好きなんだ”