夕暮れ時に戸外にいると、4歳の娘は必ず空を見上げて、表情を失った薄暗い空にかすかに光る星を指差す。わたしが星を見つけるのに、たっぷり1分はかかる。空をおおう雲の合間にひとつかふたつ、きらめく星のかけらを見つけたくて、娘は寝る時間をとっくに過ぎていてもホノルルの街を散歩しようとねだるのだ。
だから、何も予定がなかったある金曜の夜、わたしはここぞと娘を連れて街をあとにし、西に向かった。フリーウェイが途切れるあたり、町に出入りするたった一本の道が山と海を隔てるワイアナエを目指して。
条件がすべてととのったリーワードの海岸は、オアフ島でも有数の星を眺めるには最適な場所だ。雨雲はワイアナエ山脈の屈強な尾根にさえぎられ、街なかのように光の洪水に星の光が埋もれることもない。ウエストサイドの夜空は今もまだ、輝く星座が果てしなく広がるキャンバスなのだ。
波打ち際に腰を下ろし、金色の太陽の光がゆっくり水平線の向こうに消えていくのを見守る。群青色の空を背景に海が揺れる。いつしかわたしたちは見渡す限りまたたく光の粒に囲まれていた。北斗七星は簡単に見つかった。ひしゃくの外側のふたつの星をたどって、北極星も見つけた。何世紀も前から、目印のない海を渡る船乗りたちは北極星で自分の位置を確かめた。北極の上にある北極星は、ほかのすべての星が一晩かけてそのまわりを周回しているように見えても、いつも必ず北を示しているのだ。
ほとんどの星と同じように、北極星もここから何兆マイルも離れたところにある。わたしたちが見上げる光は何百年も前に放たれたものだと思うと不思議な気持ちになる。星空を見上げるわたしたちは、過去を覗いている。過去、そして天空の果てしなさを思うとき、自分の存在の小ささを知る。果てしなく広がり続ける宇宙をひとり彷徨っているような頼りなさに襲われる。
広大な星空から、わたしは娘を振り返った。星降る空の下、娘は両手を広げてくるくるまわっていた。西の浜辺で娘を見つめながら、わたしはこの子が自分の北極星だと気づくのだ。