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Season 11

ミュージシャン:ムーン・カヘレ

‘O ka mele, he mea ma‘amau nō ia i loko o nā makahiki lō‘ihi o ka nohona o Moon Kahele.



音楽の力はすごいですよ。オアフ島のあちこちで演奏しますが、さまざまな曲をリクエストされます。ついこの前も、アラモアナ・センターのフードコートでウクレレを爪弾いていたら、年配のカップルが近づいてきたんです。”《ハワイアン・ウェディング・ソング》、わかるかしら?”ってね。ぼくが曲を弾きはじめたら、ふたりは踊り出しました。フードコートの真ん中でね。これぞ音楽の力ですよ。耳にした瞬間に思い出がよみがえり、聴く人は自分の物語の一場面へと旅立つんです。

ぼく自身も音楽の力に救われました。音楽がなかったら、もうこの世にいなかったと思います。高校を卒業後、軍隊に入り、アラバマで練兵係軍曹になりました。結婚して子供も4人いましたが、慣れない環境やいい父親でいなければというプレッシャーに押しつぶされ、どん底に落ちてしまいました。妻は4人の子供を連れ、たった一台しかなかった車を運転して出ていきましたよ。あの当時でさえ、妻の決断は正しいと思いました。ぼくは悪循環にはまり、落ちていくばかりでしたから。命を断つことも考えましたが、音楽があったから鬱と不安の壁を打破できたんです。兵舎でひとり寝転び、実家から送られてきたカセットテープをデッキに入れ、ギャビー・パヒヌイやオロマナ、ソサエティ・オブ・セブン、ドン・ホーなどの曲を聴きながら泣き明かしました。そうした曲の歌詞にオコレ(尻)を蹴飛ばされましたよ。おまえは、けっしてあきらめない戦士の文化のなかで育ったんだろってね。テープを聴いていると、両親や、音楽に囲まれて育ったケイキ(子供)時代が頭に浮かびましたよ。

子供の頃は母に連れられてクマコ・マウ・ロア教会に通っていました。母はリードオルガンを弾いていたんですが、身長が146センチしかなかったのでペダルに足が届かず、僕は床にしゃがまされて、母に肩を押されると右、オコレを押されると真ん中、腿を押されると左、とペダルを押す係でした。オルガンの前の母がストップを引き、鍵盤を押さえる音色に合わせ、礼拝堂に信者たちが歌うハワイアン・ソングが響き渡るんです。

きちんとした音楽教育を受けたことはありません。お手本を見て、真似をする。昔ながらのハワイ式のやり方で身につけました。ウクレレのうまい人がいたら、ただじっと観察するんです。伯父の故ジョナ・”チャーリー”・キピは今でも右に出るもののいないほどのスラック・キー・ギターの名手で、おんぼろのフェンダーのギターがいつも椅子に立てかけてありました。父はぼくがギターに触るのを嫌がりましたが、ある時、伯父が言ったんです。”いいから、触らせてみろ”っ てね。ぼくはギターに手を触れ、弦を一本ずつ爪弾きました。その音は今も耳に焼きついています。

退役してしばらくジャクソンヴィル州立大学でフットボールの選手をした後、全米各地の刑務所で刑務官を務め、やがて連邦保安官局で囚人を護送する仕事に就きました。でも、故郷とはいつも音楽でつながっていました。フェニックスで犯罪法廷吏をしていたとき、〈ラウ・カーナカ・ノ・ハワイ〉というハワイアン・クラブに入ったんです。毎年のルーアウ(パーティ)や月ごとの会合があり、みんなウクレレやパキニ(ハワイのベース楽器)を持ち寄って、とにかくいろいろな歌を歌うんです。歌詞なんかめちゃくちゃですが、とにかく楽しくて、家にいるようにくつろげました。

この頃、マーカハ・サンズの前座を務めることになったんです。ハワイアン・カヌー・クラブ〈ナ・レオ・オ・ケ・カイ〉の資金集めのコンサートでした。その夜、”ハナ・ホウ(アンコール)”を1回どころか3回ももらいましたよ。《カ・ウルヴェヒ・オ・ケ・カイ》を演奏したら、聴衆の3分の1が立ち上がり、通路でフラを踊りはじめたんです。〈ムーン・カヘレと仲間たち〉誕生の瞬間です。それから4枚のアルバムを出しました。デビューアルバム《ア・ウォーク・アクロス・ザ・オーシャン》はハワイを代表する音楽の賞〈ナー・ホークー・ハノハノ・アワード〉にもノミネートされたんですよ。

アリゾナ州エロイにあるサグアロ刑務所を慰問し、投獄されているブラダ(ブラザー)のために演奏しはじめてかれこれ10年以上になります。なぜ今もサグアロを訪れるのかとよくきかれますよ。”(そこにいる囚人は)信号を無視して道を横断したから投獄されているわけじゃない”なんて言われますが、ぼくと彼らの違いは捕まったか捕まらなかったかというだけです。人はみな何かしら悪いことをしているものですよ。これまでの人生を振り返って気づいたのは、毎朝目覚めた時、神様は奇跡のたくさん入った袋をくれるということ。人は毎日、その奇跡の分だけ恩返しをして袋を空にしなければならないんです。両親や我が子、そしてまわりのコミュニティに対してお返しをするんですよ。ぼくが人のために演奏を続けるのは、まだあげるものがたくさんある気がするからなんですよ。

ムーン・カヘレさんはカポレイを拠点とする教員であり、ソングライター兼パフォーマー。月曜と金曜の晩、コオリナの〈ビーチ・ヴィラス〉で演奏している。

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